2009年07月02日

15代将軍徳川慶喜は

15代将軍徳川慶喜は起死回生の策として大政奉還を実行し、徳川の政治的生き残りを図る。これは朝廷に対し恭順の意を表し、新しく成立するであろう新政府において重要な地位に立って、大名連合政権の上に立とうとする考えであった。武力によって完全に幕府を倒そうとしていた倒幕勢力は攻撃の名目を一時的に失ったため、先手を取られた形となった。しかし、薩長の倒幕派が太政官制度を復活させ、天皇を中心とした新政府を樹立。徳川から朝廷への政権交代を宣言した(王政復古の大号令)。その後、徳川を盟主とする旧幕府勢力と薩長を主体とする新政府が対立し、鳥羽・伏見の戦いを機に戊辰戦争が勃発。新政府に敗れ去った慶喜は、江戸城無血開城を経て降伏した。降伏後も一部の旧幕府勢力が東北などで抵抗したが、五稜郭の箱館戦争を最後に新政府が勝利し、戊辰戦争は終結した。こうして明治維新が始まり、日本も本格的に近代化の時代を向かえることになる。

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江戸時代は征夷大将軍徳川氏を中心として、武士階級が支配していた封建社会であった。一般市民の身分制度は士農工商と呼ばれる階級制であり、武士が民衆を支配していた。それまで武士と農民は分離していなかったが、豊臣秀吉の刀狩りと武士は城下・町人は町屋・農民は村落と住居が固定されるなどにより武士階級と農民が明確に分離された。しかし江戸時代の各階層にある程度の流動性も見られる。特に江戸には飢饉などにより地方から流入してきた農民も多く、幕府はしばしば帰農令を出している。また、全国の諸藩には、郷士と呼ばれる自活する武士も存在した。彼らは城下に住み藩主から俸禄を貰っていた武士である藩士とは明確に区別され、また一段下の身分として差別されることもあった。幕末に活躍した人びとには、勤皇方、幕府方を問わず、下級藩士・郷士・町人など軽輩階層出身者であった者が多い。

2009年06月13日

微分位相幾何学もしくは微分トポロジーは

微分位相幾何学もしくは微分トポロジーは、多様体の微分可能構造に注目する幾何学の一分野。微分幾何学よりは自由度が高く、トポロジーよりは低い。解析学や微分幾何学と位相幾何学の学際研究が非常に有益なことは初期から知られており、局所的な性質を扱う微分幾何学と大域的な性質を扱う位相幾何学の対照的な2分野による多様体の研究は双方の発展を促した。古くはフェリックス・クラインやアンリ・ポアンカレまで遡れ、現在微分位相幾何学と呼ばれているものはルネ・トムやジョン・ミルナーといった数学者によって創り出された。
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微分トポロジーは多様体の微分可能構造を研究する幾何学である。微分幾何学の不変量である曲率並びにそれに基づく幾何構造は微積分によって定める。このとき多様体上での微分の基準(線型の定義)が微分可能構造である。微分位相幾何学では角度、大きさ、曲率といったものを考えない。これはトポロジーの最も特徴的な性質の1つだが、微分トポロジーは普通のトポロジーよりも自由度が小さい。位相的には同じだが微分可能構造が違う例はミルナーによって発見された異種7次元球面が最初である。7次元球面は28種類の異なる幾何構造を持つ。もっと顕著な例は4次元空間であり、これはドナルドソンによって本質的に異なる微分可能構造が無限にあることが示されている。別種の例として滑らかな微分構造を持たない位相多様体なども挙げられる。

トポロジーと微分トポロジーの間に顕著な例が現れるのは高次元の場合であり、例えば2次元の多様体は全て微分可能な多様体に同相変換可能であることがラドによって、3次元の多様体についてはモイーズとビングによって示されている。また、2次元多様体はただ1種類の自然な幾何構造を持つことがケーベとポアンカレによって示されている。

2009年06月09日

微生物学の最も基本的な実験ないし手法としては

微生物学の最も基本的な実験ないし手法としては、微生物の純粋培養技術(分離)がある。環境下では様々な種類の微生物同士が種間相互作用を行っており、これらの相互作用を除いて個々の種類の性質を探るには、微生物を純粋に培養する技術が最も基本的なところとなる。なお、純粋培養には器具の滅菌、ならびに培地の組成など微生物のみならず、細胞を扱う学問の基礎となる技術が伴う。

培地の組成や温度、培養時間などによって分離できる菌が異なる。例:

土からの分離
環境から取得した土を滅菌水などに懸濁し、静置後上澄みを適当に希釈し寒天培地に塗布する。適温に放置し菌の生育を待つ。生育してきたコロニーをさらに白金耳などで寒天培地に塗布しシングルコロニー(単一菌体由来のコロニー)を取得する。
限外希釈法
寒天培地で生育させられない場合に行われる。菌を懸濁した培地を何倍にも希釈し培養することで単一菌体由来の培養液を得る。厳密には菌がからみあっていたり、ゴミに複数の菌が付着していたりする場合もあるので留意する。

難培養性微生物 [編集]
純粋培養に基づく研究は微生物学の王道となってきたが、未知の因子を要求するものなど、純粋培養が不可能もしくはきわめて困難な微生物も多く、これらは難培養性微生物と呼ばれる。土壌など、自然界に存在する微生物の大半は、このような難培養性微生物であるといわれており、PCRやDNAマイクロアレイなどの新技術を用いた、純粋培養によらない研究手法も模索されている。

代謝 [編集]
細胞の基礎代謝については、真核生物を用いたものよりも、個々の細胞クローンが得られる微生物から多くの知見が得られた。異化、同化はもちろん、タンパク質や脂質、核酸の生合成などは微生物学からえられたものといっても過言ではない。

増殖 [編集]
微生物の増殖に関する実験からは、細胞の栄養要求性や、遺伝子発現の調節などといった事柄が理解されている。また、栄養要求性のみならず、環境因子の要求(温度、pH、酸素など)についてもその知見が得られている。
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顕微鏡観察 [編集]
アントニー・ファン・レーウェンフックの発明した顕微鏡は微生物の概念をもたらしたが、顕微鏡を用いた細胞の観察は現在でも必要欠くべからざるものである。現在は、電子顕微鏡をはじめ多くの高性能な顕微鏡が開発されているが、その結果微生物表面に存在する鞭毛運動やタンパク質の挙動などが明らかになってきている。

微生物の遺伝学 [編集]
微生物の培養から元株の完全なクローンが通常得られるが、一定の確率で性状のやや異なる株が得られる。突然変異の概念をもたらしたのは微生物学の成果の一つでもあり、突然変異の誘導をはじめ、相同組み換え、形質転換、接合、F因子の伝達、形質導入といった、現在の分子生物学にきわめて重要な多くの方法を提供してきた。

分類 [編集]
微生物は形が小さいために形態が単純であり、多細胞生物のようにその表現型から分類を行うことは難しい。が、上記の微生物学的知見を駆使して分類を行うことは不可能ではない。また、表現型の評価が難しいことから16S rRNA系統解析のような遺伝子を用いて分類を行うことが考え出されている。

藻類や原生動物においては、形態が重要視されるが、電子顕微鏡レベルでの構造が明らかになるに連れ、外形よりも鞭毛装置などの微細構造が重視されるようになった。菌類では、生理作用による判別と形態が共に重視され、原核生物では、外見的な形態での分類はほとんど望めないため、生理作用、たとえば様々な物質の分解能などが重視されたが、これらも次第に分子遺伝学的形質等に重点を移しつつある。

物質循環と微生物 [編集]
炭素、窒素をはじめ多くの物質が生態系の中を循環しているが、中には微生物にユニークな反応も存在し、物質循環に果たす微生物の役割は想像以上に大きいことが示唆されている。この学問は特に微生物生態学といわれている。また、微生物間の種間相互作用も研究が進んでいる。

病原性 [編集]
炭疽菌をはじめ多くの微生物は人間に対して病原性を持っており、疾病の面からも多くの微生物が研究されてきた。人工的免疫法、衛生学的手法といった現在の医学においても欠かせない多くのテクニックが微生物学から生まれている。また、ウイルスについても、病原性(タバコモザイク病)から発展した概念および学問の一つである。なお、日本では病原性の微生物を扱う学問として細菌学という固有の分野を設けている。

2009年04月25日

アベド・ネゴ

アベド・ネゴ(アザルヤ)は旧約聖書のダニエル書に登場するユダヤ人。ユダヤ名がアザルヤで、アベド・ネゴはバビロンの宮廷でつけられた名前である。ダニエル書の伝えるアベド・ネゴの物語は以下のようなものである。

紀元前六世紀、エルサレムを陥落させたバビロンのネブカドネツァル王は、自分の占領行政の官吏を養成するため、ユダヤ人の「王族と貴族の中から、体に難点がなく、容姿が美しく、何事にも才能と知恵があり、知識と理解力にとみ、宮廷に使える能力のある」(ダニエル1:4)少年たちを選び出して連れてこさせ、カルデア語を学ばせた。
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アベド・ネゴと呼ばれることになったアザルヤはその一人であった。彼はベルテシャツァルと呼ばれたダニエルをリーダーとする四人組の一人で、四人は異邦人の地にあっても唯一の神への信仰を守りぬき、「異邦人の肉類と酒で自分を汚すまい」(ダニエル1:8)と誓っていた。彼ら四人はぬきんでて優秀であったため、王に仕えて重用された。

アベド・ネゴはダニエルが王の見た夢の謎を解き明かしたことでバビロン州の行政官に任命された。

ネブカドネツァル王が金の像をたてて、これを拝むよう命令を出したとき、唯一の神を信じていたアベド・ネゴはそれに従わなかった。そのため、同じように像を拝まなかった仲間のシャドラク(ハナンヤ)、メシャク(ミシャエル)と共に燃え盛る炉の中に縛られて生きたまま投げ込まれた。しかし三人は焼け死ぬことなく、火の中を自由に歩いた。やがて王に呼ばれると髪の毛も燃えることなく火の中から出てきた。これに驚いた王は彼らの信じる神をたたえ、三人を元の地位に戻した。

2009年04月08日

シンフォニックメタル

シンフォニックメタルはヘヴィメタルから派生した音楽のジャンルの一つ。オーケストラや合唱とのアンサンブルを軸としたサウンドがシンフォニー(交響曲)を想起させるため、こう呼ばれる。リード・ボーカルにオペラを思わせる声楽的な技巧を取り入れたものは特にオペラティック・メタル(オペラ・メタル)とも呼ばれる。必ずしも交響曲やオペラの形式に倣ったものではない。

ロックやメタルが発展する過程においてオーケストラとの共演は、『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』(ディープ・パープル、1970年)を初めとする様々な試みが行われてきた。その後プログレッシブ・ロックやネオ・クラシカル・メタルなどでクラシック音楽とのクロスオーバーは高度になっていき、やがて『Yeah! Yeah! Die! Die! Death Metal Symphony in Deep C』(ワルタリ、1996年)などを経て、シンフォニック・メタルもその潮流の一つとなってきた。

このジャンルが登場した当初はシンセサイザーやサンプラーをオーケストラとしてサウンドを構築していたバンドが多かったが、人気が高まるにつれてフル・オーケストラを使用するバンドが増えている。

音楽性と歴史 [編集]
シンフォニックメタルの“ビッグバン”は1997年にあったと言っても過言ではない。最初にこのジャンルに貢献したのはセリオンと言われている。デスメタルからゴシックメタルへと傾きつつあった音楽性に生オーケストラを導入した結果これに成功し、アルバム『セリ』(1997年)によりシンフォニックメタルを世間に知らしめた。

この潮流に乗って躍り出たのが同じく1997年にデビューしたウィズイン・テンプテーションとナイトウィッシュである。前者はまずデスメタルをベースにしたゴシックメタル系のサウンドでデビュー。シャロン・デン・アデルの可憐な歌声を前面に押し出した楽曲、緩急巧みなシンセサイザーと生オーケストラによるオーケストレーションで大きな人気を得る。後者は当時の潮流であったヘヴィネスとメロディックスピードメタルを組み合わせたサウンドに重厚なシンセサイザーのオーケストラを重ね、さらにクラシカルなオペラ調の歌唱を乗せるという独特のサウンドで人気を得て、ついにミリオンセラーとなるまでに至った。

そして同じく1997年に現れたのが、“ハリウッドメタル”を標榜するラプソディーである。シンセサイザー(後にオーケストラも)を大々的に導入した大仰なサウンド志向で、ハリウッド映画音楽のようなヘヴィメタルを作り上げた(歌詞のテーマにハイ・ファンタジーを取り上げ続けるため、ゲームミュージックに近いとして「RPGメタル」とも呼ばれる)。

こうした流れに乗ってフォロワーも続々と登場し、シンセサイザーとオーケストラによるサウンドをヘヴィメタルのリズムに乗せるというシンフォニックメタルのうねりは、今やヨーロッパを中心に一大流行となっている。

主要シンフォニックメタルバンド [編集]
アフター・フォーエヴァー
ウィズイン・テンプテーション
エターナル・ティアーズ・オブ・ソロウ
エデンブリッジ
エピカ
キャメロット
ストリームオブパッション
セリオン
ディレイン
ナイトウィッシュ
ルナティカ

シンフォニックブラックメタル [編集]
クレイドル・オブ・フィルス
ディム・ボガー
エンペラー
サリオラ
ストームロード

シンフォニックパワーメタル [編集]
アングラ
キャメロット
ブラインド・ガーディアン
フェアリーランド (バンド)
ラプソディー・オブ・ファイア
X JAPAN

その他シンフォニック・メタルの作品 [編集]
ワルタリ - 『Yeah! Yeah! Die! Die! Death Metal Symphony in Deep C』(1996年)
メタリカ - 『S&M』(1999年)
キッス - 『アライヴIV?地獄の交響曲』(2003年)

アイス スノー ランブ トリック フレデ マーチ シュテム マイウェイ ショナリー トーゴ ミクシィ スロット キール ビターオ キニン バイテク スタチン マジソン ピンドル オスカー 夏のロ ティハリー シンフォ ピョン ウムドン オマーン ミートボガ トッポッ ニズム スタン ベンジャ ダイヤ ランマ 大正琴 ガザ二ア ダイマー コットン ハラシ 道のむこ ショア マルク だいとう クーポン ピューリ チダー キシリ アンゴ ゆかいな スター ハニー

2009年03月24日

太多線(たいたせん)

太多線(たいたせん)は、岐阜県多治見市の多治見駅から美濃加茂市の美濃太田駅に至る東海旅客鉄道(JR東海)の鉄道路線(地方交通線)である。

中央本線と高山本線を結ぶ鉄道。沿線は宅地化が進み名古屋や岐阜との直通列車が運転される通勤・通学路線となっている。
プライス ルックス オレン クリーム スペキ バンク ふるさと ハナナ オリジナル トップトラ オーロラ ストロー 暮らし ギング フーテン ビバレッ スーパー ション プロット とびいろ 白梅便利 すその ヒヨド メゾソ 京いも ソウチク ハンド ブラック デュアル みやこ トリマー ハシッシ カプセ ドッグ レンゲ アドオン きつね パープル 赤いろうそく ファイト プロフ ファンファ タックス キャル イグル あまぎ コメント いなば 検索ゆずゆ ファッ

路線データ [編集]
管轄(事業種別):東海旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
路線距離(営業キロ):17.8km
軌間:1067mm
駅数:8駅(起終点駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:単線自動閉塞式
運転指令所:東海総合指令所

運行形態 [編集]
昼間時間帯でも30分毎運転と比較的本数が多い。多治見 - 美濃太田間の列車のほか、高山本線に乗り入れて岐阜駅まで直通する列車もある。閑散時間帯はワンマン運転を実施。平日の朝夕及び土曜の朝には、通勤客向けにホームライナーとして中央本線経由名古屋駅直通の「ホームライナー太多」が1往復運転されている。「ホームライナー太多」を含めて、全列車各駅に停車する。

また、平日夜間に美濃太田→多治見にかけてキハ11形2両が、平日の前日には多治見→美濃太田にかけてキハ85系5両(「ホームライナー太多」用)がそれぞれ回送列車として運行されている。

昼間時間帯は主にキハ11形100番台または200番台による2 - 3両編成で運転され、朝ラッシュ時などはキハ40・47・48形も加わり、4両編成で運転される。

担当乗務員区 [編集]
美濃太田運輸区
高山運輸区(車掌のみ)

使用車両 [編集]
普通列車
キハ11形気動車 - 美濃太田車両区(海ミオ)所属
キハ40系気動車 - 美濃太田車両区(海ミオ)所属
ホームライナー太多
キハ85系気動車 - 名古屋車両区(海ナコ)所属

歴史 [編集]
多治見 - 可児間は、東濃鉄道(1944年設立の同名の会社とは別)が1918年に開通させた新多治見 - 広見(現在の可児)間を国有化したもの、可児 - 美濃太田間は新たに開業したものである。

東濃鉄道は軌間762mmの軽便鉄道で、広見駅は現在の場所より東にあった。1920年には広見 - 御嵩間が延伸される。

その後、国の多治見と美濃太田間を結ぶ鉄道計画に重なるため、新多治見 - 広見間が1926年に国有化され太多線となった。広見 - 御嵩間は新たに設立された東美鉄道に譲渡され、のちに現在の名鉄広見線の一部となる。

広見 - 美濃太田間が開業し全通したのは1928年である。多治見 - 広見間も1067mm軌間に改軌され(一部は新線に切り替え)、広見駅も現在の場所に移転した。

年表 [編集]
1918年(大正7年)12月28日 - 東濃鉄道 新多治見 - 広見間(7.4M≒11.91km)が開業(軌間762mm)。新多治見駅、小泉停留場、姫停留場、広見駅開業。
1919年(大正8年)5月13日 - 大藪口停留場開業。
1919年(大正8年)9月13日 - 小泉停留場を駅に格上げ(認可日)。
1920年(大正9年)2月15日 - 根本停留場開業。
1921年(大正10年)12月11日 - 大藪口停留場を駅に格上げ。
1926年(大正15年)9月25日 - 東濃鉄道の新多治見 - 広見間を国有化、太多線とする。新多治見駅を多治見駅に併合し廃止。停留場を駅に格上げ。
1928年(昭和3年)5月31日 - 多治見 - 小泉間に野中仮信号場を、姫 - 広見間に田白仮信号場を開設。
1928年(昭和3年)10月1日 - 広見 - 美濃太田間(3.2M≒5.15km)が開業し全通。多治見 - 広見間を1067mm軌間に改軌・新線切り替え、改マイル(+0.5M≒0.80km)。小泉駅、姫駅、広見駅移転。根本駅(初代)、大藪口駅、野中仮信号場、田白仮信号場廃止。
1930年(昭和5年)4月1日 - 営業距離をマイル表記からメートル表記に変更(11.1M→17.8km)。
1946年(昭和21年)11月1日 - 戦後の燃料不足から、1往復削減される。
1946年(昭和21年)12月1日 - 燃料不足がさらに深刻化し、さらに1往復削減される。
1947年(昭和22年)2月1日 - 燃料不足に伴う列車削減が終了。元通りの本数になる。
1952年(昭和27年)12月26日 - 根本駅(2代目)、下切駅、美濃川合駅開業。
1969年(昭和44年)10月1日 - 無煙化。
1982年(昭和57年)4月1日 - 広見駅を可児駅に改称。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が承継。全線の貨物営業廃止。
1989年(平成元年)2月20日 - ワンマン運転開始[1]。
1993年(平成5年)10月 - CTC化。

駅一覧 [編集]
全駅岐阜県に所在。
「ホームライナー太多」も含め全列車全駅に停車する。
列車交換 … ◇・∨・∧:交換可、|:交換不可

2009年03月08日

二大理論の発展

戦後には国際関係論は世界大戦を経て確立されたリアリズムとリベラリズムの二大理論をより発展させる。しかしリアリズムとリベラリズムはそれぞれ異なる前提を持つ理論であり、リアリズムでは権力を主要な概念としており、リベラリズムでは協調を主要な概念としている。国際関係論はこの二つの理論の相補的な関係に基づく発展に伴って進歩することとなった。またリアリズムやリベラリズムの理論とは別個に国際政治経済論が構築される。国際政治経済論はそれまでローポリティックスとして軽視されてきた経済的な要因が国際関係に与える影響についての理論であり、マルクス主義を思想とする帝国論や従属理論などを内容とする。また国際金融の変動相場制への移行やオイルショックの発生などは国際関係における事件も国際政治経済論の研究に弾みをつけた。これはリアリズムやリベラリズムの研究にも大きな影響を与える。また1960年代には行動科学の影響を受けた科学主義と、歴史や哲学を重視する伝統主義の間で第二の論争が起こっており、国際政治経済論とリアリズム、リベラリズムのパラダイムが並存するパラダイム間論争が1970年代から1980年代にかけて起こっている。

その後にリアリズムとリベラリズムは無政府主義や一元的な行為主体としての国家という基本的な前提を共有することによって、その理論的な内容が接近する傾向を見せる。その結果、科学的なリアリズムとして理論的な再構築を経たネオリアリズムと科学的なリベラリズムとして理論の再編を経たネオリベラルの間で、無政府状態における国家間において協調は達成しうるのかという点や、いわゆる相対的な利益すなわち相対利得をめぐる論争が交わされた。この論争を通じて、「ネオネオ統合」と呼ばれる収斂が生じたとされる。
パラグラフ マンツ 東京ドド セダン キーボ オープナ ランドスケ フィギュア オシロ きゅうじ カオス トムソ ブック ゾンホルル うみがめ ピリン ココア ナイーブ デメリット ロバスト プレー けいこう マチネー メサ スクリー Sぎさん オフィビ ムスカリ スイーツ メタン デンパ アベバ 羽衣便り 五番街 パンケ じゃが 楽しむ トロイカ 万華鏡 サラダ ギネ バカンス ウォッ とよころ スタイロ ジャスト パワーシフト イクラ 紅の翼 レッテ

新たな発展
1980年代には従来の二大理論だけではなく合理主義やリフレクティビズムという立場が出現する。合理主義とは行為主体の利益最大化を基本的な原則として国際関係の因果関係や相関関係を論じる方法論である。反対にリフレクティビズムはその合理主義や実証主義に対して懐疑的な立場であり、行為主体の選好が変動することを十分に説明できないことを主張する。これは方法論を巡る第三の論争として行われ、さらに別の理論の構築をもたらすことになった。その新しい発展としてコンストラクティビズムがある。これは社会構造論や間主観的コミュニケーション理論を応用した国際関係の社会理論であり、理念やアイデンティティなどの主観的な要素が関係性のなかで国際秩序を形成することろ論じている。従ってリアリズム的な国益を絶対的な基準で測定することはできず、立場の違いによって国益の定義は変化する。このような理論はソ連崩壊や冷戦後の新思考外交を説明するために構築されたものであり、現在の主要な国際関係理論として位置づけられている。

2009年02月20日

宇宙世紀(うちゅうせいき、Universal Century:U.C.)

宇宙世紀(うちゅうせいき、Universal Century:U.C.)とは、アニメ作品群「ガンダムシリーズ」のうち、『機動戦士ガンダム』およびその派生作品の舞台となった架空の紀年法。
ロール ラズベリ ジュニア つじばしゃ リンドウ ツーショット MIX サイバー ジオン ショート ネクトン タイムカプ 大和撫子 ダッフ マタニテ みなのがわ モットー アクア フレクター リッパ 新緑 ハイパー ひろさき ジョン 春夏秋冬 スライン じゅんぼ スンデ ピストル 大和 フィブロ はしげた カバロール ユーモア ネス メロデ イヌコ シリビン メラノ タニリ スパイシー 決意 はちりゅ ピンハ マテバ 飛騨紅 ルース べびーぽ テクス クロロキン

スペースコロニーへの移民が開始された年を0001年とする。慣用的に4桁の年号で表記され、例えば宇宙世紀0079年はU.C.0079、宇宙世紀0123年はU.C.0123と表記し、それぞれ「ユニバーサルセンチュリー・ダブルオーセブンティナイン」、「ユニバーサルセンチュリー・オーワントゥエンティスリー」と発音する。日本語の場合も「うちゅうせいきダブルオーセブンティナイン」、「うちゅうせいきオーワントゥエンティスリー」と、年号は英語式に読む。

また、それらの作品の世界観そのものを指して「宇宙世紀」という場合もある。

宇宙世紀世界のうち、アニメ作品で描かれたのは『機動戦士ガンダム』の舞台となった宇宙世紀0079年頃から、『機動戦士Vガンダム』の舞台となった宇宙世紀0153年頃までである。

この時代においては、増えすぎた地球人口による食糧問題や環境破壊などへの対策として、地球圏(地球および月とそのラグランジェ点)に多数のスペースコロニーが建設され、そこに多くの人々が居住している。しかしこれらコロニーの自治権を巡り、地球連邦政府とコロニー住民(スペースノイド)との間で衝突が頻発し、ついには宇宙世紀0079年の一年戦争をはじめとする多数の大規模な戦乱を生じるに至る。そのような状況の中、レーダーや無線通信を阻害する「ミノフスキー粒子」の発見・利用によって、特に軍用兵器において劇的な技術革新が起こった。その代表格が人型汎用機動兵器「モビルスーツ」である。

主要交通手段である自動車に関しては、小説版でエレカ(電気自動車)と記述されている。我々の時代ではようやく開発が本格化し始めたところだが、宇宙世紀の地球は我々の時代よりも環境破壊が進んでいることや[1]、スペースコロニーの密閉された空間という事情もあり、必然的に環境対策に取り組んだ結果の電気自動車の普及だと推測される。

月面にも都市が建設されている他、ルナツー、5thルナ、ア・バオア・クーなどの地球軌道上に曳航された小惑星も周回しており、要塞として使用されている。更に、宇宙世紀も1世紀を過ぎた頃には、木星圏においても「国家」と呼び得る程のコロニー群が建設されている。核融合炉のエネルギー源であるヘリウム3の採取を行う惑星間航行船も往来し、人類の最先端とされている。一方、これだけ宇宙開発が進んでいながら、地球からの離脱手段は依然として旧来の化学ロケットが中心であり、軌道エレベータなどの革新的な交通手段は実現されていない。

『機動戦士Ζガンダム』においてパプテマス・シロッコが綴った「血の誓約書」、カイ・シデンがハヤト・コバヤシに宛てた手紙、『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』においてオクトバー・サランがチェーン・アギに宛てた手紙など、作中に登場する文書類の文面は基本的に英語で書かれている。この時代では地球連邦として地球全体が一つの政府により統治されていることもあり、英語が公用語化しているものと推測される[2]。なお、我々の時代である20?21世紀は「中世」に当たるとされ、ギレン・ザビがアドルフ・ヒトラーを指して「中世期の人物」と言っている。

正史
ガンダムシリーズはアニメ以外にも漫画・小説など多数の派生作品が作られており、それらの間で歴史に食い違いが生じていることがある。アニメ制作元のサンライズでは、「映像化された部分が公式である」という見解を示している。映像作品であってもTV版、劇場版、OVA等を比較すると内容に食い違いが出る箇所があるが、サンライズは「どれも公式」としているため、どれを正しい歴史「正史」とするかはファンの解釈に任されている。唯一の正史は存在しないと考えることもでき、映像作品であっても『機動戦士ガンダム』に関しては、「劇場版で語られたこと以外は全てグレー(準公式)」というスタッフの発言もある。

一方、派生作品であっても公式に準じるものとして見なす場合もある。例えば、小説で発表された『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』や漫画『機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91』などの作品に関する事件も宇宙世紀公式年表には表記されている。また、『機動戦士クロスボーン・ガンダム』は漫画作品であるが、アニメの原作者および監督を務めた富野由悠季が直接制作に関わっており、『機動戦士ガンダムF91』の後のアニメ化されていない時代(宇宙世紀0133年?0136年)を描いていること、またコンピュータゲーム等において他の作品と同格に扱われていることもあって、公式に準じる作品として見なされている。

また、富野自身が書いた小説『ガイア・ギア』は1980年代後半に発表されたものだが(時代としては宇宙世紀0203年頃が舞台)、現在では絶版となっており[3]、後にサンライズが監修した書籍等における設定にも反映されていない。

さらに、宇宙世紀の最も未来を描いた『G-SAVIOUR』は、当初年号がS.C.(スペースセンチュリー)に設定され、別世界の物語であったものが、後に宇宙世紀へ改定された経緯がある。

時節
宇宙移民の開始を以って、紀年法を「宇宙世紀」へ移行(西暦末期)
宇宙世紀0001年が西暦何年かは明確に定められておらず、放送当時の富野による「1969年のアポロ11号の月面着陸でも1999年のグランドクロスでも好きな時にしてくれ」という発言から、この両年を宇宙世紀0001年としている資料も一部存在する[4]。一般的には2045年(旧設定におけるコロニー建造開始年)より未来の時間軸だと語られることが多いが、2008年現在も公式設定は存在しない。

ラプラス事件
U.C.0001
『機動戦士ガンダムUC』(物語冒頭)

一年戦争
U.C.0079?0080
『機動戦士ガンダム』
『機動戦士ガンダム MS IGLOO』
『機動戦士ガンダム 第08MS小隊』
『機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争』(ルビコン計画:U.C.0079)

デラーズ紛争
U.C.0083
『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』
ジオン軍の残党であるデラーズ・フリートと地球連邦軍の紛争。

宇宙世紀0083年10月13日午後3時に作戦が開始され、デラーズ・フリートのアナベル・ガトーが、同日午後9時に地球連邦軍のトリントン基地にてガンダム試作2号機(サイサリス)を強奪したことを皮切りに勃発、11月13日午前1時19分戦闘終結までの一連の騒乱をいう。

全てのはじまりは一年戦争後の宇宙世紀0081年10月20日に極秘に開発がスタートした「ガンダム開発計画」である。この計画がいかなる経路によりジオン公国軍残党であるデラーズ・フリート側に漏洩したかは不明であるが、当時の南極条約に明白に違反するモビルスーツ (MS) の核武装という脅威も引き金の1つと考えられる。なお、ガンダム開発計画の実質的な主任だったニナ・パープルトンと、デラーズ・フリートのアナベル・ガトーが交際事実はあるものの、ガトー自身が本計画をデラーズから聞かされたのはガトーがデラーズフリートに復帰した後である(CDシネマ『ルンガ沖砲撃戦』より)。

デラーズ・フリート側が立案した「星の屑作戦」は強襲揚陸艦アルビオンがトリントン基地に到着後、発動された。核弾頭試射を含むトルプルAクラスの機密扱いのテスト計画は、デラーズ・フリート側に情報は筒抜けとなっていた。

2号機とともにガンダム試作1号機(ゼフィランサス)を輸送してきていたアルビオンが追撃任務を拝命。当時主流派であった軍保守派はジャブローへの核攻撃警戒に重きを置き、また本事件が改革派であったジョン・コーウェン中将を咎める格好の政治材料となったことで、アルビオンはデラーズ・フリートの宣言した「星の屑作戦」阻止のための作戦行動をほぼ単艦で行う。指揮は艦長のエイパー・シナプス大佐が執ることとなり、トリントンから補充されたテストパイロットたちを加えて終わりなき追撃を展開した。

しかし単艦での追撃には無理があり、11月10日午後2時31分に宇宙要塞コンペイトウで行われていた観艦式への核攻撃を許し、さらに11月13日午前0時34分38秒地球へのコロニー落としまでも阻止できなかった。最終局面においてはデラーズ・フリート、連邦軍ともに内部分裂を極め、裏で手を組んだジャミトフ派(連邦軍)とシーマ艦隊(デラーズ・フリート)の共同作戦が展開。これが事前に秘匿されていた為、連邦軍は地球軌道艦隊の内第1艦隊しか、要のソーラ・システム防衛に配置されず、先にも述べたコロニー落着阻止の目的の達成を困難にしていた。加えてソーラ・システム第二射は両軍入り乱れる中で放たれ、戦場は混迷を非常識で破壊し尽くす形で漸く終息を迎えた。

この紛争を契機に、連邦内ではジャミトフ・ハイマン准将が中心となってティターンズが結成され、後のグリプス戦役へと繋がっていく。

なおシーマ艦隊を除くデラーズ・フリート残党はハマーン・カーン指揮下のアクシズへ合流。アルビオン隊の生き残りは、11月23日に指揮官シナプス大佐はラビアンローズでの抗命・ガンダム試作3号機(デンドロビウム)強奪・独断行動について、コウ・ウラキ少尉は3号機の無断出撃について、全責任を押しつけられる形で軍法会議において処罰(シナプス大佐が極刑、ウラキ少尉は懲役1年)され、他のメンバーは殆どがティターンズに参加している。

事件の発端を辿ると南極条約で禁止されている核兵器を搭載していた試作2号機を地球連邦軍が開発していた事が原因であるという結論に行き着くため、公表を恐れた地球連邦軍は翌0084年3月10日に試作1号機から3号機までの存在自体を歴史の表舞台から完全に抹消、「無かったもの」とした。さらにコロニー落としの件はコロニー輸送中の「事故」として処理することにより事実の隠蔽を図った。これによりウラキ少尉の罪状も抹消されることとなったのである。

事件は巧妙に隠蔽されたが連邦軍も完全に情報を抹消できず、この一連の騒動で得られたMSのノウハウは後のZ系列のMSに生かされることになる。

グリプス戦役
U.C.0087?0088
『ADVANCE OF Ζ ティターンズの旗のもとに』
『機動戦士Ζガンダム』

ぺズンの反乱
U.C.0088
『ガンダム・センチネル』
名称は反乱の主犯格であるニューディサイズが立てこもった小惑星基地ペズンに由来する。時期としては『機動戦士Ζガンダム』の終盤と重なり、グリプス戦役末期の宇宙世紀0088年1月25日から同年4月5日まで続いた。

グリプス戦役末期。シャア・アズナブルによるダカール演説以後、劣勢となったティターンズを見切り、エゥーゴ寄りとなった地球連邦政府に対する地球至上主義者たちの不満は臨界に達していた。小惑星基地ペズンに駐留する地球連邦軍教導団に所属するメンバーのうち、ティターンズ寄りの地球至上主義思想を持つ青年将校たちがニューディサイズを標榜して武装決起し、地球連邦政府に反旗を翻した。

対する地球連邦政府は、グリプス戦役終結時に大多数の戦力を温存していたネオ・ジオンとの衝突を控え、ニューディサイズは早急に取り除くべき障害であると判断し、討伐隊の派遣を決定する。しかし、ネオ・ジオンとの戦争を前に大規模戦力を投入する訳にはいかず、アーガマ級新造巡洋艦ペガサスIIIとSガンダム・FAZZ・ΖプラスのガンダムタイプMSを中心とする少数精鋭のα任務部隊が宇宙に送り込まれた。

実態は素人の集まりであったα任務部隊であったが、高性能MS群の性能にも助けられ、間もなくペズンを制圧する。しかし、α任務部隊の援軍として派遣された本星艦隊を率いるブライアン・エイノー提督がニューディサイズ側に義があるとし艦隊ごと連邦軍から離反、月へ侵攻したことで事態は一変する。ニューディサイズはエイノー艦隊と連携し、親地球派の月面自治都市エアーズ市を拠点に頑強に抵抗し続けた。しかし援軍を得た討伐隊の猛攻の前にエアーズ市は陥落。ニューディサイズの指導者ブレイブ・コッドが戦死、エアーズ市長カイザー・パインフィールドが自決し月面での戦闘は終結した。

トッシュ・クレイの指揮によりエアーズ市を脱出したニューディサイズはネオ・ジオン軍のトワニング艦隊と接触。新型モビルアーマーであるゾディ・アックを(欠陥機であることを知らされないまま)譲り受けた。その後ダカール占拠の足がかりとすべく宇宙ステーション・ペンタを占領。そして地球降下作戦を実施するもα任務部隊の活躍で失敗。ニューディサイズは大気圏突入を阻止されて全滅、エイノー提督はペンタで降伏して反乱は鎮圧された。

反乱そのものは短期間で終結するも、連邦政府に与えた影響は大きいらしく、その後の対ネオ・ジオン戦で主導権を取れなかった要因の1つになったものと考えられる。

第一次ネオ・ジオン抗争
U.C.0088?0089
『機動戦士ガンダムΖΖ』

カラード事件
U.C.0090
ダブルフェイク アンダー・ザ・ガンダム

第二次ネオ・ジオン抗争
U.C.0093
『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』
『機動戦士ガンダムUC』(U.C.0096)

ジオン共和国の自治権放棄
U.C.0100
『機動戦士ガンダムUC』(設定のみ)

マフティー動乱
U.C.0105
『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ』

オールズモビル戦役
地球連邦軍と旧ジオン公国の残党であるオールズモビルによる戦争である。

第一次オールズモビル戦役
U.C.0120?0121
『機動戦士ガンダムF90』
火星独立ジオン軍(以下、オールズモビルと統一)は火星を拠点としたジオン残党の一つである。最初は小規模な抵抗でしかなかったが、宇宙世紀0120年に10月25日ジュピトリス級コバヤシ丸が撃沈され、同月3日後の10月28日にトライアルしていた地球連邦軍の最新モビルスーツであるF90 2号機を強奪。サイド4・フロンティア・サイドの地球連邦軍統合本部は旗艦アドミラル・ティアンムを中心とした第十三独立艦隊にオールズモビル討伐を命じる。

宇宙世紀0121年3月に火星に到着した第十三独立艦隊であったが、オールズモビルの巧妙な攻撃と地球連邦軍内部の内通者により予定された作戦行動を取ることができず、艦隊の半数を失う。それでも火星に部隊を送り込み、オールズモビルの基地施設に侵入するが、オールズモビルの切り札「オリンポス・キャノン」により旗艦アドミラル・ティアンムが撃沈されるものの、オリンポス・キャノン発射時の圧力に基地は壊滅。結果として、オールズモビルの自滅で幕がおりる。

第二次オールズモビル戦役
U.C.0122
『機動戦士ガンダムF91 フォーミュラー戦記0122』
火星のオールズモビルは壊滅したが、地球圏に残存したオールズモビルの勢力はシャルル・ロウチェスター少佐を中心に再興する。軍備もそれまでのオールズモビルとは違い、艦船やリファイン(RF)されたジオン系モビルスーツをもって再び地球圏を脅かした。再興の際、影で支援したのがブッホ・コンツェルン(クロスボーン・バンガード)である。

宇宙世紀0122年、F90を運び入れた戦艦エイブラムを襲撃。地球連邦軍は第13反地球連邦組織討伐部隊を結成して再びオールズモビルズ討伐作戦を行う。宇宙と地球で行われた戦闘は、最終的にシャルル艦隊の主兵力消失により活動は停止。しかしクロスボーン・バンカードの介入もあり月のマスドライバーを占拠して隕石弾による攻撃を目論むがエイブラムの活躍により阻止。そしてオールズモビルが立てこもるクロスボーン・バンカードの宇宙要塞を総攻撃、これを壊滅させオールズモビルは完全に消滅する。

しかし、第二次オールズモビル戦役はオールズモビルのスポンサー、クロスボーン・バンカードそのものの隠元、そしてフロンティア・サイドにおけるコスモバビロニア建国への布石でしかなかった。そして宇宙世紀0123年のコスモ・バビロニア建国戦争へと繋がっていくのである。

ゼブラゾーン事件
U.C.0123
『機動戦士ガンダム シルエットフォーミュラ91』

コスモ・バビロニア建国戦争
U.C.0123?0128
『機動戦士ガンダムF91』
地球連邦軍と大企業ブッホ・コンツェルンの結成した私兵組織クロスボーン・バンガードとの争いである。

『機動戦士ガンダムF91』はこの戦争の開戦の部分を描いた作品である。なお、開戦後から終戦までの部分は作品化されていない。

宇宙世紀0100年代に入り、地球連邦軍はなお腐敗と増長を続けていた。これに対し、ブッホ・コンツェルンの頭首マイッツアー・ロナは高貴な精神を持つ者が人民を率いるべしとする「コスモ貴族主義」を掲げ、理想国家「コスモ・バビロニア」の建国と連邦政府の打倒を決意する。

宇宙世紀0123年3月16日、クロスボーン・バンガードはスペースコロニー「フロンティアIV」を襲撃する。

映画では長年の準備期間で力を蓄えたクロスボーン・バンガードが実戦経験がなく弱体化していた連邦軍の駐留軍を駆逐して、サイド4のコロニー群「フロンティア・サイド」を制圧し、「コスモ・バビロニア」として建国宣言を行い、討伐のために派遣された連邦軍艦隊が壊滅したところまでが描かれている。

本来1年程度のテレビシリーズで描かれるはずであったうちのプロローグ部分だけを映画化したという事情により、戦争の結末は描かれることがなく、1993年に制作されたテレビシリーズ『機動戦士Vガンダム』の舞台が本作よりも30年後の宇宙世紀0153年となってしまったため、その後コスモ・バビロニアがどうなったのかは謎とされていた。

しかし、後に『F91』の監督を務めた富野由悠季が原作を担当した漫画作品『機動戦士クロスボーン・ガンダム』(1994年?1997年連載、劇中の時代は宇宙世紀0133年)の中で、「コスモ貴族主義の提唱者であるマイッツアー・ロナの孫娘であるベラ・ロナが貴族主義を否定して人は平等であると唱えたため、コスモ・バビロニアは組織が分裂して崩壊した」というその後の大まかな歴史が語られることになった(しかし、詳細な経緯はいまだに不明である)。

コスモ・バビロニアの建国自体は失敗したものの、この戦争により地球連邦軍の弱体化と地球連邦政府の宇宙への無関心さが明らかとなり、各地のコロニーが続々と独立する「宇宙戦国時代」と呼ばれる時代へと移行している。『Vガンダム』に登場するザンスカール帝国も、そうしたコロニー国家のひとつである。

2009年02月04日

河野氏(こうのし / かわのし)は、守護大名、戦国大名

河野氏(こうのし / かわのし)は、守護大名、戦国大名となった伊予国(愛媛県)における有力豪族で、越智氏の流れを汲むという。
デッド トリーニ タンク ジョブ ドン カール スモッグ トレーパッ オール 豊の国 チョッパ ナビ男爵 チェリモヤ チロシン ジャーニー バラモン サイン えさん ミリメシ アカシア きんぱく リべリ サンサ シパール 時遊館 ティビティー シャクナゲ セーフ フューチ ナルシス スルピリド タウポ リンク デジカメ くんかく リラ リアクン ジェンダー ドラフト ユニコード モアレ ルナリア ドリル プーリ オルガ ライトバン サーチ霊芝 愛の技 セロット ミッド

室町時代以降は代々湯築城を居城としてきた。一族の来歴を記した文書「予章記」はその虚実入り交じった不思議な内容(鉄人伝説など)で有名である。

他に2系統が存在する。

三好義長を遠祖とする、芥川長明の子、芥川季範が河野氏を称する。
桓武平氏良文流河越氏の流れを汲む河越重家が子孫が河野氏を称する。

河野氏は河野郷(現在の松山市北条付近)を出自とする。当初は国衙の役人として活動していたと考えられているが、源平合戦で源氏に味方したことで鎌倉幕府の御家人となり西国の部将でありながら大きな力をつけた。その後、室町期に道後に湯築城を築き本拠を移した。根拠地の伊予が地政学的にも周辺諸国からの介入を受けやすい位置にあったこともあり内乱を繰り返すこととなった。その結果勢力を削ぐこととなり、戦国大名として変移できなかった典型的地方豪族といえる。河野宗家は、代々湯築城を拠点としていたが、河野水軍の本拠地は松山市三津、港山の一帯であった。この地理的な距離が宗家と分家(水軍衆)との亀裂を生んでいたとも思われる。なお河野氏の菩提寺は旧北条市の善応寺である。湯築城へ移転するまでは、善応寺の双子山城を本丸として支城に恵良山城、鹿島城、大山寺城、高縄山城などを有していた。

一時河野家の兵力は、瀬戸内最大規模の水軍となり、河野水軍とも呼ばれた。これは、道前平野での稲作による豊富な食料確保が可能であったからであり、島嶼部に拠点を置いた他の水軍との大きな相違点でもある。有名な村上水軍は、形式的には河野氏の配下であるが、独自での活動も活発であり必ずしも従属関係にあったわけではない。伊予の水軍は大三島の大山祇神社を崇拝し、祀りを執り行うことが習いであった。

平安・鎌倉時代
平安時代の末期は、平清盛率いる伊勢平氏の傘下にあったが、その後、源平合戦においては河野通信が河内源氏の流れを汲む源頼朝に協力して西国の伊勢平氏勢力と戦った。鎌倉時代になり承久の乱のとき、反幕府側の後鳥羽上皇に味方したために一時的に衰退したが、元寇のときに勇将・河野通有が活躍してその武名を馳せ(河野の後築地・"うしろついじ"として有名である)、河野氏の最盛期を築き上げた。

南北朝・室町時代
南北朝時代には、四国へ進出し伊予へ侵攻した細川氏と争う。河野通盛は足利尊氏に従い伊予守護職を手にしたが、河野通朝は細川頼春の侵攻を受け世田山城で討ち死にした。子の通尭は九州に逃れ、南朝勢力であった懐良親王に従い伊予奪還を伺う。幕府管領となった細川頼之が1379年の康暦の政変で失脚すると、河野氏は南朝から幕府に帰服し、頼之追討令を受けて細川方と戦う。その後頼之が幕府に赦免されると、1386年には3代将軍足利義満の仲介で河野氏は細川氏と和睦する。

室町時代には度重なる細川氏の侵攻や予州家との内紛、有力国人の反乱に悩まされた。河野通久の時代に、河野通之の子通元の予州家との間に家督相続争いが起こった。この争いはその後も続き、管領職が代わる事に幕府の対応が変わるなど情勢が混迷を極めた。本家河野教通と予州家の河野通春の争いは瀬戸内を挟んだ細川氏、大内氏を巻き込んだものとなったが、応仁の乱のさなか、本家の教通が伊予守護職を確保し、通春没後に予州家は没落した。

戦国時代・安土桃山時代
戦国時代に入ると、予州家との抗争は終息したものの、有力国人の反乱や河野氏内部での家督争いが相次いで起こり、その国内支配を強固なものとすることはできなかった。16世紀前半の河野氏宗家の当主・河野通直(弾正少弼)のとき、家臣団や有力部将来島通康を巻き込む形で子の河野晴通と家督をめぐって争いが起こる。この争いは晴通の死で収束したが、これにより河野氏はさらに衰退してゆくことになる。結果的に、来島村上氏や平岡氏、能島村上氏といった新たに台頭した有力国人勢力に政権運営を強く依存する形となり、末期には軍事的にも毛利氏の支援に支えられるなど、強力な戦国大名への脱皮は叶わなかった。

国内には喜多郡の宇都宮豊綱、大野直之、宇和郡の西園寺氏らの河野氏に属さない勢力が存在し、また、土佐の一条氏、豊後の大友氏、讃岐の三好氏との間に争いが続くが、同盟、縁戚関係を築いた安芸の毛利氏の支援を強く受けることとなった。その後も、長宗我部氏の侵攻や1581年の来島通総の離反など苦難は続いた。1585年、豊臣秀吉の四国征伐において、通直(伊予守)も小早川隆景の説得を受けて降伏し、通直は大名としての道を絶たれ、新たな伊予支配者となった小早川隆景の元に庇護された。そして1587年、通直が竹原で嗣子無くして没したため、大名としての河野氏は57代をもって滅亡した。

河野氏遺臣の再興のための戦い
1600年には関ヶ原の戦いに呼応して、安芸の毛利、村上勢(村上掃部頭元吉(村上武吉の長子)軍団)と、四国に残留した平岡勢が協同して、慶長5年8月28日に加藤嘉明の居城正木城に軍勢およそ二千余騎で攻め寄せるが、守将佃十成の計略にはまり、上陸地点である三津で夜襲を受け、完全に撃破されてしまった。これを「刈屋口の戦い」または「竹原崩れ」という。この後も荏原城などで残党が篭城するが、関ヶ原の戦いはすでに東軍勝利で終わったため、完全に駆逐されていった。

河野氏主要名簿
河野玉澄(越智守興落胤)
河野益男
河野真勝
河野深躬
河野息村
河野息利
河野息方
河野好方
河野好峯
河野安国
河野安躬
河野元興
河野元家
河野家時
河野為世
河野為時
河野時孝
河野為綱
河野親孝
河野親経
河野親清(三島四郎)
河野通清
河野通信
河野通久
河野通継
河野通有
河野通盛(通治)
河野通朝
河野通堯(通直)
河野通義
河野通之
河野通久
河野教通(通直)
河野通春
河野通宣(刑部大輔)
河野通直(弾正少弼)
河野晴通
河野通宣(左京大夫)
河野通直(伊予守)
一遍

系図
    ┃
    通信
    ┣━━━┓
    通久 別府通広
    ┃   ┃
    通継  一遍
    ┃
    通有
    ┃
    通盛
    ┃
    通朝
    ┃
    通堯
    ┣━━━┓ 
    通義  通之
    ┃   ┃
    通久  通元
┏━━━┫   ┃
通生  教通  通春
┃   ┃   ┃
明生  通宣  通篤
┃   ┃   ┃
通吉  通直  通存
┃   ?   ┣━━━┓
通直  通宣  晴通  通宣
    ? 
    通直
晴通、通宣(左京大夫)については通直(弾正正弼)の実子と言う説有
通直(伊予守)のについては来島氏からの養子とする説もある。

庶家
松末氏
野島氏
別府氏
久保氏
嬉野氏
土居氏
得能氏
三島氏
高井氏
遠藤氏
甲曾氏 - (中川氏)
北条氏
林氏 - 伊藤博文が河野通有の末裔と自称
一柳氏
伊予橘氏
宇津宮氏
久枝氏

河野氏主要家臣団(戦国期)
来島通康
来島通総
村上武吉
平岡房実
平岡通資
平岡直房
平岡通倚
忽那通著
大野直昌

河野諸氏末裔
秋山好古
秋山真之
正岡子規[要出典]
馬越恭平
河野淳吾(Jリーガー)
河野直人(Jリーガー)
大石尚子(衆議院議員)

2009年01月21日

スノーボード

スノーボード(snowboard)とは、一枚の板上に、両足を斜めまたは横向きに置き、雪のついた斜面を滑るスポーツ。またその板。スノーボードをする人をスノーボーダーと言う。

「スノーボード」という名称は、アメリカとカナダを中心とした北米スノーボード協会が発足した時、サーフィン、スケートボード、スキーでもない全く新しいスポーツのジャンルとしてスノーボードという名称に統一したことに始まる。1970年代まで、同じく「スノーボード」という名称の雪上を滑るボブスレーのような競技が存在していたが、一般には普及しなかった。

英語で"snowboard"は「スノーボードする」という動詞であるため、名詞として使う場合は"snowboarding"と言うことが多い。また、1980年代にはアメリカの玩具会社が"Snowboard"の商標登録を持っていたため、"snoboard"という表記もよく見られた。

日本語におけるスノーボードの略称に「スノボ」「スノボー」「ボード」などがある。一般認知は「スノボ」や「スノボー」が高いが、これはマスコミや旅行会社などが「スキー」と文字数を合わせるために考えた略語で、真剣に取り組むスノーボーダーらは、初心者や娯楽とするスノーボーダーが使う言葉として認識し、単にスノーを省いた「ボード」という略称を用いていることが多い。これは、初心者向け以外のビデオタイトルに「スノボ」がほとんど使われないことや、有名選手のインタビューから「スノボ」の略称がほとんど出てこないことからも分かる。「スノボ」の略称を安易に使う者を揶揄して「スノボちゃん」と呼ぶこともある。この関係は、「スケート」や「SK8」などの略が好まれる、「スケートボード」と「スケボー」の関係に近い。

もともとはサーフィンやスケートボードを雪山でも、といった楽しみ方をされていたが、既にスキー場という娯楽施設が整備されていたため、その環境にも適応すべくスキー製造技術を取り入れていった。圧雪された斜面での滑走性能が上がり、現在では整備されたゲレンデで滑るのが一般的となったが、ゲレンデ外(オフピステ)の雪山を滑るバックカントリースノーボードも人気である。人工的に管理された範囲外での滑走となるため、より高度な滑走技術だけでなく、雪崩のリスクマネジメント、応急手当など、安全に関わる知識を学ぶことや、ビーコンなどの専用の装備が必要である。ビッグマウンテン、狭義にはエクストリームなどとも呼ばれる。

最大の特徴は、サーフィンやスケートボードと同じくサイドウェイスタンス(非対称、横乗りの)スポーツだということ。軸足を前に、利き足を後ろに置くため、左足が前になるレギュラースタンス、右足が前になるグーフィースタンスがある。右手利きが多いように、グーフィーよりレギュラーの方が多い。

歴史
1800年代にすでに1枚の板で雪山を滑っていたとも言われているが、アメリカ合衆国で1963年にトム・シムスがスケートボードを加工して作ったスキーボードや、1965年にシャーマン・ポッペン(Shervin Popper)が作った「snurfer(スナーファー:snow とsurfer の合成語)」と呼ばれる雪上サーフィンの玩具などが起原とされている。これは、非常に小さな合板の板に紐をつけバランスを取り真直ぐに斜面を滑り降りるだけの乗り物であった。

その後派生する初期のスノーボードは、板の面積が大きく、降雪後に山に登り新雪をサーフィン感覚で滑り降りるもので、スノーサーフィンと呼ばれた。滑走面から飛び出したフィンが付いており、圧雪されたゲレンデでは上手く滑ることができなかった。

1970年代初め、ユタ州ソルトレイクでドミトリエ・ミロビッチによって設立されたウインタースティック社のカタログには「30cm以上の深雪が必要」と記されている。スノーサーフィンは、その後派生する多くのスノーボードメーカーにも大きな影響を与える。

1971年、日本の田沼進三によって設立されたパイオニア・モス社が、サーフボードのウレタンフォームとグラスファイバーを使用したプロトタイプを作成。フィンとエッジがあり、バインディングはないものであった。

1972年にボブ・ウェバーが「スキーボード」デザインの特許を取得。これは1990年8月17日、ジェイク・バートン・カーペンターに売却される。

1975年、ディミトリー・ミロビッチがウィンタースティック社の工場を設立。初期のボードからメタルエッジを取り除き、ダブルエッジを開発し、特許を取得。

1976年、トム・シムスがシムス・スポーツ社を設立。

1977年にはジェイク・バートン・カーペンターが、バートン・スノーボード社を設立し、1980年代中頃ゲレンデを滑る事が出来る道具を開発すると同時に、大量生産の体制を築く。

1979年、日本では1970年代後半からいくつかの小規模なメーカーが興されたが、パイオニア・モス社がスキーの解放型プレートを改良した固定式ハードバインディングを持つ「MOSS snowstick」の販売を開始。これはスキーブーツの使用を前提とし、世界で初めて固定式バインディングを採用したものであり、「MOSS SNOWBOARD」は現存する世界的古参メーカーとして知られている。

1981年、シムスがメタルエッジつきボードを開発。コロラド州で初めての大会が開催されたと言われている。

1983年、世界初の国協会として「日本スノーボード協会」が発足。「第一回全日本スノーサーフィンチャンピオンシップ」開催。

1985年、ヨーロッパと北アメリカでもスノーボード協会が発足。トム・シムスが、ロジャー・ムーアの代わりにスノーボードのスタントを務めた映画、ジェームズ・ボンドの「007 美しき獲物たち」が公開される。

1986年、スイスのスノーボードクラブが「インターナショナル・スイス・チャンピオンシップ」をサンモリッツで開催。
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1987年、アメリカ・ブレッケンリッジとイタリア・モリッツで世界初の国際級大会「International World Championship」開催。競技種目はスラロームとハーフパイプであった。翌シーズン、ヨーロッパとアメリカでワールドカップシリーズ5戦開催。この頃から国協会も増えていく。

1989年、初めての国際協会として「国際スノーボード協会」が発足。ただし、ヨーロッパ内での活動。

1990年、初めてのプロ協会がスイスで発足。アジア、ヨーロッパ、北アメリカで、ワールドカップ大会16戦が再開される。

1990年代に入り、当時若者に人気があったスケートボードのイメージと重なり、爆発的ブームとなって産業として育ってゆく。

1991年、国際スノーボード連盟が発足。ワールドカップ大会3戦開催。

1998年の長野冬季オリンピックより、アルペンスタイルのパラレル大回転、フリースタイルのハーフパイプが正式種目となる。

2002年、国際スノーボード連盟が解散、世界スノーボード連盟が発足。

2006年のトリノ冬季オリンピックより、スノーボードクロス(ボーダークロス)が正式種目となる。